年の瀬に寄せて。
どうも、こんにちは。モリモトケンタです。
あっという間に2019年もあと4日。あの”2020年”がやってきます。
そして先日無事に29歳になりました。日々葛藤だらけで、何とか生き抜いている年末ですが、今感じていることを少し言葉にしておきたいと思います。
やっぱり未来はどこから来るかわからなくって、高校を卒業した時や、大学を卒業した時には思い描いていなかった未来を生きているとつくづく感じます。
そもそも大学に行こうと思っていなかったし、いわゆる大企業で働くとも思っていなかった。そこからNPO法人の職員をすることも思わなかったし、ましてや縁もゆかりもない場所で独立するとも思っていませんでした。
自分自身に呪いをかけていないか?ということ
何かと上手くいかないことや苦労をしていることは自分自身の中にある想い込みが”私”に呪いをかけていないか?と時々思うことがあります。(どこかで誰かもつぶやいていたかも。)
ここ2~3ヶ月は前進しつつも少し苦しい時期でもありましたが、今は脱して前を向いて進めそうだと感じられています。
何かそこに壁がありそうなんだけど、その正体もつかめ切れず、超えるために何を身に着けるといいのかも見えていない時期でした。
ただそれは思考の向きが自分にしか向いていなくって、周囲に対してどう関わるか、どう貢献できるかに意識を向け始めたあたりから何かが消え去っていったんだろうなと感じています。
まだまだ修行が足りぬ。ただそれだけですが、風向きが変わり始めたことを今は喜びたいと思います。
相対的評価と絶対的評価
自分に対する評価のはなし。
とあることで、その人の自己に対する価値基準が形成されるときに「絶対評価」か「相対評価」になる背景がどこにあるのかを考えることがあり、個人的な見解が見えてきたこともあり、少しまとめてみました。
そもそもなぜ考えたのか。
いかにしてヘルシーなメンタルを獲得するには何が要素として必要なのかを突き詰めていったら行き当たったはなしです。
さっきの話にもつながりますが、「日本人って自己肯定感が低いよね。」も思い込み。自分の行動に対する自分の評価基準を図るスケールを持っていないか、意識的に使えていないから起きていることなんだろうと感じています。
言い方を変えれば、肯定感を上げるために「〇〇を行う。」のではなく、自分の中に自分に対する評価基準を持つことで見方は変わるんじゃないかなと思います。
相対評価になる背景には、相対的に優劣が決まる価値基準(収入・偏差値)が社会・コミュニティの原則になっていることがあげられるんじゃないかと思い、そこに軸足を置けば置くほどしんどくなる。
一方で、相対的に優劣が決まらない環境や、その価値基準が当てはまらない環境に軸足を持つことで。自分の中に自分に対する評価基準を育てることができるんじゃないかと思っています。
若者は何に希望を抱くのか?
密度と余白の問題はあるんだろうなと感じていて、いくら優秀だとしても、根を張り、枝を伸ばし、葉を精一杯広げようとするならば、今の関東圏や地方都市を入れても面積当たりの人の数は過密すぎるから、若者が育ちずらい(生きずらい)世の中なんだろうなと思っています。
「そもそも希望なんか求めちゃいない」なんて声も聞こえてきそうですが、自分たちの責任を超えて社会がそうさせていることもあるんだろうなと。”同情するなら金をくれ”とはよく言ったもので。
1億総活躍か、1億総貧困か。うっすら気づき始めている人もいると思いますが、どうやら2020~2040年辺りはどうあがいても苦しい時期がやってくるのではないかなと思っています。
いくらインバウンドや輸出、人材流入を行ったとしても、日本人そのものの力が相対的に低くなっているなかで未来はどう描けるのか?気になるばかりです。
なんとなくですが、母性や形になりずらい貢献が価値になる時代が2020年代のトレンドになりそうとも思っています。
2020年はどうする?
どんな不安があったとしても、前に進むことや未来を担うことには変わらない中で淡々と行動し、確信めいた新しい価値を作ることに貢献できるかどうかと感じています。
とにかく、今立たされている舞台で任された役割を最大限のパフォーマンスでチームに貢献する。ただそれだけです。
今年1年間も各所、各方面の方々に大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
2020年も変わらずのご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。