morilog

東京⇒鹿児島⇒鎌倉と移住した20代男子の日々の記憶や記録、気づきをつづるブログ。

続・コミュニティナースという概念

みなさま、こんばんは。1人5役くらいのモリモトケンタです。

今日は、1年前に書いた「コミュニティナースという概念」という記事の続きとして、コミュニティナースフェスティバル2018での気づきをまとめておきたいと思います。

まさか自分で書いたブログを引用することになるとは思いませんが、1年前の経験と、それに基づいて書いていた記事からの変化や言語化が進んだ部分がありました。

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今年のコミュニティナースフェスティバルでの集合写真(Photo by 齋藤 和輝)

 

 

morilog.hatenablog.jp

 

↓1年経ってお会いした方の記事を引用していたのも驚きであったり。

community-nurse.com

 

何が変わって、何が変わらなかったのか

恐らく「変わった」ということはなくって、「言葉の解像度がより上がった。」「未来に現れる姿がより明確になった。」という感覚を持っています。

概念という言葉

まず、以前は「概念」と示していましたが、今では「概念」であり、「総称」でもあると感じています。

単純に「概念」としてしまうと、何かしらの定義が必要となりますが、日本各地で100人100通りの実践が各々の原体験を軸に起きていることを思うと、まとめたり、定義づけたり、わかりやすくするのではなく、単純に全ての総称として、「その全てがコミュニティナース(的)である。」と考えています。

ただ、総称に含まれる前提条件として、

  • 住民さんとの関係性を築く手段(テーマ)は、住民さんと向き合う当事者の関心や情熱に根っこがあること
  • 都市・地方に関わらず、あらゆる「コミュニティの一員」という対等な位置関係で、ふいな一言(つぶやき)を拾える関係性を築いていること
  • 住民さん(コミュニティの構成員)が楽しめる要素があること
  • 街の動線の中での取り組みであること
  • 制度や枠組みに囚われていないこと
  • ボランティア的活動にとどまらないこと(単なる慈善活動・奉仕活動ではないこと)

が上げられるのではないかなと思います。

その先に見据える未来は?

また目指すところとして、

  • 医療的視点を持ったケアの実践をCNだけにとどまらず、非医療職にも広がっていること
  • 看護・保健・助産領域だけでなく、他資格との連携で活動領域を大きく広げる可能性があること
  • 地域コミュニティにとどまらず、企業コミュニティの中での健康増進や円滑な社内コミュニケーションに向けたアプローチ
  • 病院以外での看護師のキャリアの可能性

ということも、可能性として見えてきている感覚があります。

そして、今年のコミュニティナースフェスティバルでは、専門職に限らず、「健康」という切り口に関心を持つ企業さんの輪がグッと広がった感覚もあります。

急な輪の広がりというわけではないですが、各地での取り組みの輪郭がより明確になるにつれて、こちらの輪の中に彼らも当事者性を持って関わり始めている。といったところでしょうか。

企業との距離が近くなることは、医療系の資格保有者が病院にとどまらず活躍の場が増えることに繋がると思います。そうすることで、これまでにない健康へのアプローチ手段がモノによらず、コミュニケーションの機会が増えることに繋がると思います。

 

 今も変わらない感覚を持てていること

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1年前のコミュニティナースフェスティバルでの風景

そこで現段階の自分から見えている範囲で 考えられる仮説としてこんなことを考えています。 「コミュニティナースはひとつの”職業”ではなく”概念”である。」 単一性の解釈で語られるものではなく、 100者、100通りの手段や解釈があって成立するもの。 だからこそ、「概念」という位置づけ。 生きることに全力で向き合い、 自分自身をさらけ出すことで相対する人との対話が成立する。 そして対話が成立することで、初めて医療的ケアの有用性や 本来的な「看護」の価値が見えてくる。 それが成立する条件や状況は、その当事者の性格から精神状態、 好き嫌いや環境、その日の天気など、想定される変数を挙げるとなると 到底きりがないと思います。 そう思うと、こうあるべきという画一的なアプローチではなく、 ○○という考え方が含まれているだけでもコミュニティナースの一つに考えられるもの。 概念的なものとしての総称という位置づけが一つの考え方なのだと感じています。

コミュニティナースという概念 - morilog

約1年前に大阪で開催していた第1回コミュニティナースフェスティバルから鹿児島に帰る新幹線の中で綴っていた文章ですが、今でもしっくりきている感覚を持っています。(というかよく書いたな。という印象も。。しかし去年は去年でとても楽しかった。)

つくづく思うのは、コミュニティナース(的)取り組みは、場所や条件に捉われることなく、自分自身の中から湧き出るエネルギーやその土地らしい力を発揮して、街の健康に貢献していくもので、その街に誰かが暮らし続ける限り、そこに何かしらの形で存在し続けるものだと感じています。

ゆえに、つい求められがちな「活性化」という言葉に対して、ただただその街の人や暮らしに寄り添うという役割は、一つの処方箋でもあると思います。

これからの概念は?

「コミュニティナースという概念」は、常に現場がアップデートされていく限り、これからも変化して、より明確になっていきます。

また繰り返しアップデートされていくことで、より多面的な概念になって、より多様な関わりしろからのアプローチが生まれることになります。

混沌とした複雑系の中でも、誰にでも共通している「健康と病」「生と死」がより前向きに、より多様な形で扱われることを通じて、少しでも健やかな暮らしが訪れることを祈っています。