「文化的な暮らし」を考察する。
「文化的な暮らし」を考察する。
先月25~26日に弾丸で伺うことができた、宮崎県高千穂町の夜神楽。
そこでかれこれ5,6年お世話になっている方がおっしゃられていた、
「夜神楽を続けるということは村の文化を村に残すということ。」
「ゆえに村に文化に基づいた暮らしを残す。」
という言葉が頭の中からついて離れない日々がちょっと続いています。
文化って何だ?大切なことなのか?
どこからやってきて、どこに行くのか。
それを残す意思が社会の未来を維持ずることになるのか?
と感じる節があったので言葉にしてみた次第です。
(本日2回目の更新は比較的駄文です。笑)
そもそも、その夜神楽が奉納されている集落は、
宮崎県の中山間地の中でも屈指の奥地で、
町の中心街から3,40分もかかりほぼどん詰まりの集落。
その昔、平家の落人が九州山地を逃げ延びたときに住み着いたとされる集落で、
源氏性がが多い高千穂町で唯一兵形成が多い場所になっている。
一見、話を聞いただけでは、村の今後にあまり明るいイメージを
持たない方が多いかもしれない。
ただ、この村ではかれこれ10年ほど前から、
自分たちがどのような状況に置かれているかを認識して、
自分たちの足元にあるもので何ができるのか?ということに答えを出してきました。
ゆえに、当時立ち上げた協議会が株式会社となり、事業規模も数千万規模と
今では従業員を複数人雇用できる規模の会社となりました。
ちなみに、個人的にはちほまろのへべす味が大好きです。
某アニメで文化を持たない種族が、、というくだりが出てきますが、
文化(≠伝統)を持たない暮らしが将来的にどこに向かい、
どういった結末を迎えるのかはとても関心があるところです。
(現実世界でいうなれば、AIに文化は宿るのか?という興味深い論点も。)
そもそも、日々の暮らしのなかで文化的なものは存在するのか?
そもそも、文化的なものは何なのか?
そもそも、私たちにとっての文化はどこから来たのか?
個人的な仮説として、昔からつづく祭事にヒントがあると思っていて、
夜神楽を構成してる音楽や舞踏が起点となり、今の私たちの
暮らしに紐づく文化が存在するのではないかと感じています。
ちょっとした昔に描かれたSF作品が現実になる未来というか、
昔書かれたSF作品が現実として化すであれば、
今描く未来は実現できない物ではないと思うところもあったり。
あなたは、どんな未来を選択したいですか?
さて、今日はこの辺で。